09/19/2023

重力に逆らいながら壁を攻略するのがクライミングの醍醐味
-野口啓代さん

マイナーな時代から世界で活躍してきた第一人者

第 32 回オリンピック競技大会(2020 /東京)で初めて正式種目として採用されたスポーツクライミング。その記念すべき大会で銅メダルを獲得したプロフリークライマーの野口啓代さん。11歳でクライミングに出会い、ワールドカップ優勝は通算21勝。「日本クライミング界の女王」と呼ばれ、引退した現在はクライミングの普及活動に尽力している野口さんに、クライミングの魅力を語って頂くとともに、都内でおすすめクライミングスポットを教えて頂きました。

年齢や体格に関係なく皆が同じ課題に挑む

小学5年生だった11歳のときにクライミングをはじめたという野口さん。きっかけはどんなことだったのでしょうか。
「家族旅行で訪れたグアムで、ゲームセンターにあったクライミングのアトラクションに挑戦したのがクライミングとの出会いでした。ヘルメットをかぶり、ハーネスをつけて、張りぼての木についているホールドを手で掴み、足をひっかけながらてっぺんを目指して登る。その経験が忘れられなくて、日本に帰ってきてから、父と一緒に自宅のある茨城から東京の錦糸町にあるクライミングジムに通うほどハマりました。その後、自宅から車で30分の場所にジムが出来たことを知り、そこからクライミング漬けの日々が始まりました。」

クライミング競技をする側、観戦する側、それぞれの魅力を教えてください。
「身長や体格、年齢など関係なく、みんなが同じ課題にトライするのがクライミングという競技です。自分の身体や体力といったものを把握しながらその特徴や得意なところを活かして、いかに課題をクリアしていくところが魅力でありクライミングの醍醐味だと思います。そもそも、重力に逆らいながら重心移動をしていくのですから、思うように身体が動いてくれないもどかしさがある。なかなか登れない壁に試行錯誤を繰り返しながら何度もトライし、ようやく登りきれたときの達成感は最高です。
観戦するときには、同じ課題を個々の選手がどう攻略するか、それぞれの個性にぜひ注目してみてください。例えば欧米人であれば、手足の長さや筋肉力、瞬発力で一気に登る選手が多いですし、アジア人は華奢な身体と手先の器用さを活かして小回りを利かせながら登っていく選手が多い。『自分だったら、あそこから攻めるかな』と予想を立ててみたり、実際に登る選手の技を見ながら攻略のヒントを得たりすると、より楽しめると思います。」

最終種目で逆転し手にした銅メダル

クライミングを始めてわずか1年で全日本ユース選手権を制覇。2008年には日本人として初めてIFSCクライミングワールドカップ ボルダリング種目で優勝を果たします。
「私がクライミングをはじめたときは、継続的に世界で活躍している日本人選手はいませんでした。オリンピック種目でもないですし、競技としての知名度も低い。コーチもいなければロールモデルになる選手もいませんでした。趣味として楽しみながら競技を続けているうちに世界選手権に出られるようになり、そこで初めて、海外には競技として真剣にクライミングに向き合い、世界の頂点を目指している女性たちがこんなにもたくさんいるんだということに気づいたんです。そこから私のアスリート人生が本格的に動き出しました。」

野口さんの活躍によって、国内でも次第に認知度が高まり、ついには東京2020大会で新競技としてスポーツクライミングが採用されることになります。「この20年でクライミングを取り巻く環境はガラリと変わりました。競技人口も増えて、日本チームが誕生して監督やコーチも付き、あちらこちらにクライミングジムが出来て、マイナーなスポーツから抜け出していきました。オリンピックに関しては、2015年から招致活動を行ない、2016年に正式に決まり、2020年に開催の予定が1年延期。トータルで6年間ですから、私自身、長い期間、オリンピックに関わってきました。それも終わってしまえばあっという間ですね。」

その記念すべき東京2020大会では見事、銅メダルを獲得されました。
「もちろん目指していたのは金メダルです。スポーツクライミングでは、どれだけ速く登れたかを競う『スピード』、課題をいくつ登り切れたかを競う『ボルダリング』、どこまで高く登れたかを競う『リード』の3種目があり、オリンピックでは、これらを1人で行う複合(コンバインド)で競うのがルール。私は、ボルダリングが得意なのですが、決勝ではそのボルダリングでいいパフォーマンスがまったくできなくて。2種目終わった時点で8人中6位。メダル圏外でもはや絶望的な状況でした。でも、このオリンピックで引退をすると決めていただけに、あきらめるわけにはいかない。そこで、最後のリードの種目では、順位とかメダルとか気にせずに挑んで、悔いなく競技人生を締めくくろうと気持ちを切り替えることに。結果、逆転してメダルを獲ることができました。」

表彰台にはどんな思いで立たれていたのでしょう。
「16歳になってはじめてシニアの大会に出てから32歳までずっと競技を続けてきました。その競技人生がここで終わるのかと思うと、寂しさや達成感、さまざまなプレッシャーからの開放感など、いろんな思いがこみ上げてきて感慨深いものがありました。あのときの感覚は今も心に残っています。」

野口さんの活躍を知って、クライミングに興味を持ち、趣味やスポーツとして楽しまれている方も増えました。その功績は計り知れないものがあります。「そう言って頂けるとありがたいです。活躍している選手がさほど身体も大きくない、ごく一般的な日本人の体型なだけに『自分にもできそう!』と思ってもらえているのかも。まして、小さな身体で世界で活躍していたら、自分も世界の頂点を目指せるかもという希望にもなりますよね。クライミングって自分の頭で考え、工夫したら工夫した分、上達する競技なだけに、何事にも真面目に取り組む気質の日本人に受け入れやすいというのもあるかもしれません。」

岩場初心者にもおすすめの御岳渓谷

引退後の現在は、どのようにクライミングと向き合っているのでしょうか。
「自分でイベントや大会を主催しながら、クライミングの普及活動に力を入れています。オリンピックでは、次の第33回オリンピック競技大会(2024/パリ)や第34回オリンピック競技大会(2028/ロサンゼルス)でも正式種目になっているので、日本人選手が活躍できるような下支えもしたいですし、何より、クライミングの楽しさをもっともっと多くの方に知ってもらいたいです。幸い、私がクライミングをはじめた2000年当初は全国で100軒あるかないかだったジムも、今では約600軒以上に増え、東京都の港区では全ての区立小学校と幼稚園にボルダリング設備が導入されました。子どもの頃から当たり前のようにクライミングに親しめる環境があるというのは喜ばしいことでもあります。その一方で、その魅力を正しく伝える指導者の育成も課題と感じています。」

クライミングを楽しめる、東京のおすすめスポットをぜひ教えてください。
「自然の中にある岩場に挑戦したい方なら、青梅市にある御岳渓谷がおすすめです。奥多摩の手前に位置して、都心から電車で1時間半ほど。ボルダリングの登竜門としても知られるボルダーがあり、初心者でも挑戦できる人気のスポットです。実は私も、はじめての岩場体験が御岳渓谷でした。小学生のときに父が『いいスポットがあるらしい!』と言って、ふたりで茨城から訪れた思い出の場所でもあります。岩場を縫うようにして流れる多摩川ではカヌーを楽しむ人もいて、美しい自然の景色に囲まれながらのクライミングは空気も新鮮でとても気持ちがいいものですよ。ただし、いつでも、誰でも自由に足を運べる場所だけに、マナーは重要。初心者は、事前にクライミングジムに行って、落ち方や自分の限界をコントロールできるようになってから岩場に挑戦してください。そして、マットを持参し、岩を昇ったらブラシで磨いて、出たゴミは持ち帰る。安全に、気持ちよく岩場を楽しんだら、次に登る人も気持ちよくクライミングに挑めるように配慮する。そんな気配りをしながら自然の中でのクライミングを楽しんでください。」

<プロフィール>
野口啓代
NOGUCHI Akiyo
1989年、茨城県出身。11歳でフリークライミングに出会い、クライミングを初めてわずか1年で全日本ユース選手権を制覇。2008年、日本人ではじめてIFSCクライミングワールドカップ ボルダリング種目優勝。2009年を皮切りに4度に渡って年間総合優勝を獲得し、ワールドカップ優勝は通算21勝を数える。 2018年コンバインドジャパンカップ、アジア競技大会で金メダル。第 32 回オリンピック競技大会(2020 /東京)では銅メダルを獲得した。現役引退後の2022年5月にAkiyo’s Companyを設立。自身の経験をもとにクライミングの普及活動に尽力している。