08/18/2023

全力を出し切って得られる達成感が十種競技の魅力
-右代啓祐さん

年齢を重ねても世界を目指せることを示したい

2日間で「走る、跳ぶ、投げる」という陸上のあらゆる要素を持つ競技をこなし、その過酷さから優勝者は「キング・オブ・アスリート」と称される十種競技。その十種競技における国内の第一人者として知られるのが、日本陸上競技選手権大会優勝8回、アジア競技大会は2連覇を達成し、日本記録保持者でもある右代啓祐さん。オリンピックでは第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)、第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)の2大会に出場した右代さんに、十種競技の魅力とともに東京観光のおすすめスポットを伺いました。

得意の投てきを活かし世界を視野に

身長196㎝、体重95キロと日本人離れした体格と身体能力を活かし、十種競技に取り組んでいる右代啓祐さん。陸上をはじめたのはどんなことがきっかけだったのでしょうか。
「子どものころからスポーツは得意で、小学生のときにはドッジボール少年団に入っていました。身体も大きかったし、足も速く、ボールを投げる力もあったのでそこそこ活躍できていました。でも、団体競技はひとりが強くても仕方ない。勝つことの難しさを感じているときに、たまたま体育の授業で走り高跳びがあり、クラスでいちばんになったんです。陸上競技なら、個人の力を存分に発揮できる。そう思ったことが大きかったですね。担任の先生に、地元の中学校に陸上で有名な先生がいるから、中学校で陸上を本格的にやってみたらどうかと背中を押してもらえたことも自信になりました。」

中学生で陸上を始め、高校2年生で挑戦した8種競技で、すぐに頭角を現すことに。
「高校2年の終わりに、陸上部の監督から8種競技に出てみないかと声をかけていただきました。それまでは、走り高跳びとやり投げをメインにしていて、他の種目はほぼ未開発。まずは経験と思ってはじめて出場した北海道大会で、まさかの高校新記録を出したんです。そのすぐあと、高校3年生で出場したインターハイで2位に。全国大会に行けたらいいなぁくらいの気持ちで出場して、いきなり全国2位になったことで、もし、自分が本気で取り組んだら、いずれ日本チャンピオン、もしかしたら世界にも行けるかもしれないと思い、大学で十種競技を本格的に始めました。」

極限状態で臨むからこそ毎試合が新鮮

“走る・跳ぶ・投げる”の総合力を競う混成競技で、その総合点を競う十種競技は相当ハードな種目。競技者としてどんなところに魅力を感じるのでしょうか。
「『なんでもできることがとにかくカッコイイ!』とはいえ、10種目終わるころには体は疲労で極限状態。2日目の最終種目が1500m走なのですが、ボロボロの状態で走り切ったときの達成感といったら、他にはないです。“もっと頑張れた”とか思い返すことができないほど、毎回の試合で全力を出し切るから、どの試合も新鮮に感じるし、必ず達成感を味わえる。だからこそ、覇者はキング・オブ・アスリートとして称えられるのだと思います。」

頂点に立つには、キングにふさわしい体力、技術、精神力が必要ということですね。
「さらに言えば、どの種目にもオールマイティに取り組めるバランスのよさも重要です。選手ひとりひとりにも個性があって、淡々と競技をする選手もいれば、僕のようにワーッと声を上げながら気持ちを集中させる選手もいる。100mをどのくらいのタイムで走ったとか、高跳びをどれだけ跳べたかといった数値的な記録だけではなく、選手が自身の得手不得手を活かし、伸ばしながら、2日間10種目をやりこなす姿勢にも注目すると、さらに楽しんで観戦できると思います。」

ケガを乗り越え、旗手を務めた
リオデジャネイロ2016大会

ロンドン2012大会、リオデジャネイロ2016大会とオリンピックは2回連続出場。なかでもリオデジャネイロ2016大会では開会・閉会式ともに旗手を務められました。
「リオデジャネイロ2016大会はいろんな体験をした特別な大会でした。そもそも大会の2カ月前に左手親指を骨折。医者からはオリンピックには間に合わないと言われたもののなんとか手術をしてもらい、1カ月で治してリオに行くことが決まりました。その後、家族と出かけているときに連絡が入り、旗手を務めてもらえないかと。こんなありがたい話はないと、喜んでお引き受けしました。実際、巨大なスタジアムのなかで日の丸の旗を持つとなると、今までに経験したことのないほどの緊張。足はガタガタ震えるし、ここで転んだら、世界中から笑われてしまうとか、余計なことばかり考えていました。でも、あの究極の経験があったからこそ、その後に訪れるさまざま局面で緊張することはなくなりましたね。」

競技では20位ながら、国際大会での自己最高得点を記録するなど健闘されました。
「ケガを乗り越えての記録ということもあり、自分の可能性を感じることができました。もともと陸上競技は、体格的にアジア人は不利と言われています。そうしたなか、僕たちは武士道さながらに細かい技術を磨き、地道に努力を重ねて自分たちなりに勝利へつながる道筋を探り続けています。その最たるものが同じリオデジャネイロ2016大会で日本が銀メダルに輝いた男子400mリレー。100mの個人記録ではメダルにおよばないなかでバトンの技術を磨きに磨いてメダルを獲る。これって本当に素晴らしいこと。第32回オリンピック競技大会(2020/東京)では、中国の蘇炳添選手が準決勝でアジア記録を0秒08も短縮する9秒83で決勝に進出し話題になりました。そうした他種目の選手の活躍を目にするたびに、十種競技こそメダルの可能性はまだまだあると確信するんです。1種目に秀でていなくても、複数の種目でバランスの良い記録を出せるように技術を磨けば頂点に立てるはず。そう思えることが未来の自分への自信につながっています。」

自然も温泉も楽しめる秋川渓谷がお気に入り

現在、競技を続けながら大学の講師として後進を育てる役割も担っています。今後の目標をぜひお聞かせください。
「自分が教えてきた選手と一緒に日本選手権に出場するのが目標です。今の僕だったら、言葉だけではなく、自分ができる最大のパフォーマンスを見せながら指導ができる。エネルギーが身体に残っている限り、自分の闘い方から何かを学びとってもらい、さらに上を目指してもらえたら本望です。とはいっても、僕も年齢を重ね、昔は簡単にできたことができなくなるし、試合後の体力の回復にも時間がかかるようになりました。そうした身体の変化に向き合い、食事を通して身体を変えていくなどしながらできる限り競技を続けていきたいなと。そして、年齢を重ねても世界を目指すことができるということを結果でも証明していきたいですね。」

現在、東京を拠点に活動されている右代さんがおすすめする東京の観光スポットをぜひ教えてください。
「僕の出身校であり、現在、講師を務めている国士舘大学がある多摩エリアはおすすめです。都心から電車で1時間ほどの距離なのですが、自然に囲まれ、人混みが少なくてのんびりと過ごすことができます。なかでも僕が好きなのが秋川渓谷の大自然を眺めながら温泉に入れる『秋川渓谷 瀬音の湯』。まるでアートのような景色を眺めながら日本ならではの温泉文化も楽しめる、最高の場所です。ぜひ、足を運んでみてください。」

<プロフィール>
右代啓祐
USHIRO Keisuke
1986年、北海道出身。中学校入学と同時に陸上を始め、高校2年生で八種競技、大学から十種競技に取り組む。2011年に日本人初の8000点オーバーという記録を打ち立て、2014年には自身の日本記録をさらに更新する8308点をマーク。第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)にて十種競技では日本人として48年ぶりとなるオリンピック出場を果たし、第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)では開会式、閉会式ともに日本選手団の旗手を務める。現在も十種競技における第一人者として活躍する一方、大学講師として後進の育成にも尽力。