05/26/2023

自転車競技でスピード、風景、旅を楽しむ
-スパークルおおいた

日本の自転車文化を盛り上げたい!

今回のナビゲーターは、自転車競技で活躍する黒枝士揮さん、咲哉さん兄弟。2021年に二人の地元である九州・大分で、プロサイクルチーム「Sparkle Oita Racing Team(スパークルおおいた)」を結成。自転車をツールに、九州と世界の架け橋となることを目的に活躍する、自転車競技界では知る人ぞ知る兄弟スプリンターです。その黒枝さん兄弟とチームの監督兼GMを務める父親の美樹さんに、自転車ロードレースの魅力や今年5月に開催される、ツアーオブジャパンの見どころなどを伺いました。

スピード感に魅せられ自転車の世界へ

兄弟でトップロードレーサーとして活躍する黒枝士揮さんと咲哉さん。お二人が自転車競技をはじめたきっかけはどんなことなのでしょうか。
「父(監督兼GMの黒枝美樹氏)が趣味で昔から自転車レースに出ていたんです。大会に出場する父に着いて行きがてら家族でよくキャンプをしてました。キャンプをしながら僕たちは、買ってもらったマウンテンバイクで野山を走り回っていて。小学校に上がるか上がらないかといった頃から、自転車に乗る楽しさと、競技を観る楽しさを体験してきたことが今につながっています。」(士揮さん)

中学生の頃から自転車競技の大会に出場していた士揮さん。一方、弟の咲哉さんが本格的に競技をはじめたのは高校生になってからだとか。
「僕の場合、小学生のときから自転車よりも母に教わっていたピアノに興味を持ち、中学校では吹奏楽部に所属していました。そのまま音楽の道を…と思っていたのですが、中学3年で突然、自転車に目覚めたんです。きっかけは、ロードバイクに乗って友人たちと釣りに行ったこと。山道にさしかかったとき、他の友達はみんなヒィヒィ言いながら坂道を昇っているのに、僕はなぜかスイスイと行けた。子どもの頃から父や兄たちと自転車に乗っていたからなのか、明らかに他の友人たちとスピード感が違くて。オレ、才能あるかも?とうっかり思ってしまったら急に、自転車に乗るのが楽しくなってきて(笑)。音楽部のある高校に推薦が決まっていたのに、兄が通っていた自転車競技の強豪校に自分も進みたくなって急遽進路変更。そこから、今日まで自転車一筋です。」(咲哉さん)

個人の力量とチーム力が問われる競技

幼い頃から自転車競技に親しみ、世界の舞台で活躍しているお二人から見て、自転車の魅力はどんなところにあると感じていますか?
「自転車は、古今東西、子どもからお年寄りまで多くの人に利用されている乗り物です。通勤や買い物など日常生活で使ったり、スポーツとして楽しんだり、友達との遊びのツールになったりなど活用方法もとても幅広いのがその魅力。そうした自転車に僕自身がのめりこんだ理由は大きくふたつあります。ひとつは、スピード。自分の足で漕ぐだけでどんどんスピードが出るワクワク感は他では体験できないもの。もうひとつは、自転車を通して楽しめる旅。昔、大分から大阪まで800キロの距離を自転車で3日間ずーっと走りっぱなしで旅したこともありました。自転車に乗って知らない街に出かけ、初めて出会う景色の中を走る感覚はやみつきになります。」(咲哉さん)

ロードレースとなるとスピードも魅力ですよね。
「自分の脚を使って時速70キロ、80キロとスピードが出たときの快感といったら!レースとなると、速さや技術といった個人の力量だけではなく、チームの戦術やカラーといった特徴が加わるのがさらに面白いところです。チーム内にはエースとエースを支えるアシストという役割がある。たとえ自分が風よけなどのアシストに回ってもエースが勝ってくれたら自分のことのように嬉しい。個人競技でありながらチームで戦う団体競技。ひとつのレースでふたつの要素を楽しめるのもロードレースの魅力だと思います。」(士揮さん)

大分で地域に根差したプロチームを発足

黒枝さん兄弟が地元の大分市でレーシングチームを立ち上げたのはコロナ禍の渦中にあった2021年のこと。実はそれ以前から父親の美樹さんの頭の中にはチーム設立の筋書きができていたそう。
「大分市の職員として働いていたときから、放置自転車対策や観光振興に自転車を活用するなど、街づくりに関わる施策に取り組んできました。仕事と趣味の両軸で自転車に携わるにつれ、自分たちが暮らす大分の地域貢献に役立ちたいという思いが増していって。そのとき、士揮も咲哉も日本のトップチームに所属しプロ選手として脂がのってきた頃。これから日本の自転車界を牽引する若い世代には、競技としてだけではなく、地域の役に立つ活動をしながらスポーツとカルチャーの両面から自転車の魅力を伝える存在になってほしいと考えるようになったのです。まずはその基盤を自分が作ろうと30年以上務めていた市役所を退職。2019年の年末に会社を設立しました。」(美樹さん)
 ほどなく世界中がコロナ禍に見舞われ、大会も次々に中止に。
「どこのチームも運営が厳しい状況にある中、息子たちとは選手としての価値をいかに示していけるかを話し合っていました。そして二人自ら、自分たちを育ててくれた大分に自転車のカルチャーを根付かせ、地域の魅力を発信していきたいと、チームの設立を決心。行政やスポンサー企業のほか、ファンコミュニティと一緒になってチームを盛り上げ、メンバーも全国から集結してくれました。」(美樹さん)

メンバーには、スプリンターとして活躍する士揮さん、咲哉さんを筆頭に日本代表パーシュート記録保持者の沢田桂太郎さんなど錚々たる顔ぶれが揃います。
「沢田は宮城県出身。大分には無縁だったにも関わらず、僕たちの思いに共感し、初期メンバーとして加わってくれました。2022年にチーム入りしたオールラウンダーの住吉宏太の他、さらに今年からは全国で活躍するロード3名、競輪選手3名が新規加入し、10人体制に。プロチームとして本格的に世界に挑みながら、日本の自転車文化を盛り上げるべく、日々練習に励み、レースに挑んでいます。」(咲哉さん)

日本の魅力を満喫できるツアーオブジャパン

スパークルおおいたが新体制で挑む今年のツアーオブジャパン。大会の見どころについて教えてください。
「ツアーオブジャパンは8日間8ステージの国内最大規模のUCI公認国際自転車ロードレースです。それぞれのステージごとに魅力があるのですが、僕個人の見どころとしては、第4ステージの美濃と第8ステージ東京。このふたつは平坦ステージでスピード感あるレース展開が繰り広げられます。とくに僕たちのチームはスプリンターが揃っているのでこのふたつのステージがまさに勝負どころになっています。」(士揮さん)
 昨年(2022年)の東京ステージでは、沢田さんが2位、咲哉さんが3位という成績を収めスプリンターチームとしての存在感を見せつけました。
「数ある大会のなかでも、ツアーオブジャパンは僕にとって印象深いレースが多いんです。なかでも2015年の第8ステージの東京は、それまでの日本人最上位となる5位につけることができ、自分に自信を与えてくれるものにもなりました。」(咲哉さん)
「その東京ステージで、僕は思い切り落車した。時速70キロだと転ぶというより、身体が飛んでいくというか…。今も傷が残っています。それだけ激しいデッドヒートが繰り広げられるだけに観ている皆さんもハラハラドキドキだと思います。とくにラスト10キロは勝負の駆け引きもあるので目が離せませんよ。」(咲哉さん)

日本で開催される大会ならではの魅力もぜひ教えてください。
「大会が開催される時期は爽やかな気候なので観戦するのも楽しいはず。自然が豊かな日本ならではの風景や街ごとに変わる彩りもぜひ楽しんで頂きたいです。」(咲哉さん)

<プロフィール>
黒枝士揮
KUROEDA Shiki
1992年、大分県出身。自転車レースに参加していた父親の影響を受け、自身も小学校1年のときにレースに参加。以降、数々のレースに参加し、高校では3度の日本一を経験。大学を卒業後はイタリアチームNIPPOとプロ契約を結ぶなど、ロードレースの本場ヨーロッパを転戦。2018年Tour de Lombok Mandalika Stage3優勝。2021年にスパークルおおいたレーシングチームを設立し、代表取締役兼選手としてチームを牽引。


黒枝咲哉
KUROEDA Saya
1995年、大分県出身。高校入学と同時に自転車競技をはじめ、わずか3年で世界大会に出場。大学では短距離でインカレ学生記録を残すものの、ロードレースの世界もあきらめず、大学卒業後は日本トップクラスのシマノレーシングとプロ契約。2016年国体ケイリン優勝。18年おおいたクリテリウム(UCI認定)優勝。現在、スパークルおおいたレーシングチームのキャプテンとして活躍。


黒枝美樹
KUROEDA Miki
1967年、大分県出身。大分市役所の職員として勤務する傍ら、趣味として30歳ごろから自転車競技をはじめる。自転車の魅力や特性を行政に生かそうと、放置自転車対策や観光振興などに対する提言を積極的に行う。2021年、大分に地域に根差したプロサイクルチームを作るべく一念発起し、退職。二人の息子とともに2021年にチームを結成。監督権ゼネラルマネジャーとしてチームを支える。