12/11/2025

アイスホッケーに救われた人生
-伊藤 樹さん

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自分がいるべき場所は氷の上

パラアイスホッケー日本代表のエースとして活躍する伊藤樹さん。小学校に入る前からアイスホッケーを始め、練習に励んでいた伊藤さんは小学3年生の時に交通事故に遭い、下半身不随に。夢が絶たれたと思った矢先に出会ったのが、パラアイスホッケーでした。重度の障がいを負いながらもアイスホッケーに挑み続ける伊藤さんに、競技の魅力やこれからの目標を伺いました。

※この取材後に行われたイエスハイム2025ワールドパラアイスホッケー最終予選大会にて、日本代表チームは4勝1敗の成績を収め、1位通過でミラノ・コルティナ2026大会への出場権を獲得いたしました。
また、伊藤選手は『大会ベストフォワード』に選ばれるなど、大活躍を収めました。

小学4年生でパラアイスホッケーに転向

伊藤さんは小学校に入る前からアイスホッケーを習っていたそうですね。
「母に勧められて姉と通ったスケート場で、たまたまアイスホッケーの練習風景を目にして。スティックを持って点を取り合う様子に“面白そう!”と思ったんです。それが6歳の時。仲間と一緒に勝ちを目指すチーム競技というところにも惹かれて、一気にホッケーにのめり込んでいきました。」

その後、小学3年生の時に脊髄損傷という大怪我を負われました。
「ホッケーの練習に向かっている途中で交通事故に遭ってしまって。家族が気にして、すぐにはケガの状況を僕に伝えなかったんです。だから、てっきり“またホッケーができる”と思っていました。とはいえ、自分で足が動かないというのは分かりますよね。スケートが大好きだったのに、自分の足で滑れなくなるなんて考えられなくて。“ケガをしたのが足じゃなくて手だったらよかったのに”って、ずっと言っていました。」

そうした中、パラアイスホッケーに出会われるのですね。
「リハビリも兼ねて、車いすバスケなどいろんなパラスポーツに挑戦しました。もちろんパラアイスホッケーの存在は最初から知ってはいたのですが、以前のように滑れるわけではないと思うと気が進まなくて、ずっと避けていました。そんな時、以前にパラアイスホッケー日本代表のコーチを務められていた方から“とりあえず練習を見に来れば?”と誘っていただいて。そこで久しぶりに氷の上に乗ったら、“自分のいるべき場所、戻るべき場所はやっぱりここだ”と。氷の上に乗るこの感覚、この空気感、この時間がやっぱり好きなんだという気持ちが一気に湧き上がりました。」

障がいを忘れるくらいにハード

同じアイスホッケーとはいえ、パラ競技となると勝手も違いますよね。
「パラアイスホッケーでは、スケート靴の代わりに“スレッジ”と呼ばれる専用のそりに乗り、両手のスティックで氷をかいて滑りながらパックをゴールに決めます。通常のアイスホッケーをやっていた自分にとって何に戸惑ったかというと、目線の高さの違い。パックが顔面めがけて飛んでくるんです。それが怖くて、怖くて。当たったら当然痛いので、練習で避けまくっているうちに、身のこなしも速くなりました。(笑)」

そもそもアイスホッケー自体、「氷上の格闘技」と呼ばれるほど激しい競技です。
「それが障がい者になったからといって容赦はまるでなし。“これ、本当にパラスポーツなの?”と思うくらいにハード。僕は脊髄を損傷しているため体幹が利かず、選手の中では最も重度。だからといって障がいの程度でクラスが分かれることも、ポイントが加算されることもない。自分が障がいを持っているなんて考える暇すらないんです。」

重度の障がいを持ちながら戦うには、相当な努力を要したはずです。
「実際、フィジカルやスピードの初速では勝てないんですよね。だからこそ、別の武器を持つ必要がある。そこでドリブル、ハンドリング、パックキープという技を磨きまくりました。だから今、こうして日本代表として世界で戦えるようになった。もし最初からスイスイと動けていたら、ここまで技術を磨こうとは思わなかったかもしれません。結局、僕はアイスホッケーしかやることがないんです。一度はアイスホッケーから離れざるを得なかったけれど、その後再びアイスホッケーに救われた。それが僕の人生なんだなって。」

憧れの“神様”との約束を果たしたい

ご自身の思いと努力が実を結び、中学生にして日本代表入り。周囲からの期待の高さがうかがえます。
「当時は、大人の中に子どもが一人、という状況でした。先輩たちには学校の勉強を教えてもらいましたし、“下っ端としてかわいがられる方法”もたくさん教わりました。例えばロッカールームの掃除を率先してやるとか。年齢や立場など関係なく、人と話すのが好きになったのも、代表入りしてたくさんの方に出会えたおかげです。」

昨年には単身でアイスホッケーの本場・北米に渡り、語学学校に通いながら現地の強豪チームの練習にも参加されたそうですね。
「目的は一つ。アメリカの絶対的エース、デクラン・ファーマー選手と一緒にホッケーをすることでした。僕にとってデクラン選手は、小学生の頃から憧れてきた“神様”のような存在なんです。2年前、アメリカ代表が来日した時に初めて本人と会うことができて、うれしさのあまり、“あなたに憧れて、あなたとホッケーするのが夢で、いつかアメリカに行きたいと思っています”と伝えたら、“ウェルカムだよ!”って。それを真に受けて、彼の本拠地・コロラドに行ったというわけです。」

実際に憧れの人と一緒にプレーしてみて、いかがでしたか。
「感動しました。プレーはもちろん、それ以外のことも神レベル!ヘアスタイルも服装も、所作も、人との接し方も全てが完璧。何より、日本から追いかけてきた僕のことを快く受け入れてくれて、練習が休みの日には一緒にキャンプもして、“イツキは僕の友達だよ”とも言ってくれたんです。」

意義深い時間を過ごされたのですね。
「はい。たくさんの刺激を受け、世界の壁という現実を突きつけられたものの、逆に、自分が今まで磨いてきたドリブルなど手元の技術は世界でも通用する、という自信も得られました。それに加えて、体の大きな海外選手にぶつかられても負けないフィジカル、スピード、シュート力の強化という課題も明確になりました。何よりの収穫は、デクラン選手が“ミラノ(ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会)に一緒に行こう!”と言ってくれたこと。その約束を、何としてでもかなえたいです。」

熱き男たちの戦いぶりを見てほしい

北京2022パラリンピック冬季競技大会には、年齢制限により予選に出場できなかった伊藤さん。最終予選敗退という結果だっただけに、来年開催されるミラノ・コルティナ2026大会への期待が膨らみます。
「この4年間、日本代表メンバー全員がいろんなことを犠牲にして、アイスホッケーに打ち込んできました。その努力が水の泡になるなんてことは考えたくありません。ただ、結果がどうであれ、今の僕にできるのは、アイスホッケーに出会えたこと、今もこうして競技を続けられていることに感謝しながら、全力でプレーを楽しむこと。それに尽きます。」

その姿、そのプレーをより多くの人に見てもらいたいですよね。
「障がい者になっても、ケガを恐れず全力でパックを取り合い、ゴールを目指す熱き選手たちの姿は、見ていてしびれますよ。12月6日・7日には、第34回パラアイスホッケー全国クラブ選手権大会が開催されました。会場は東京辰巳アイスアリーナ。今年9月に完成したばかりの東京都立のアイスリンクで、熱い戦いが繰り広げられました。」

競技を観戦しに来た方に、伊藤さんがおすすめしたい観光スポットがあれば教えてください。
「長野県岡谷市・諏訪市などにまたがる諏訪湖はおすすめです。岡谷市にはパラアイスホッケー日本代表チームの合宿地があるので、月に2、3回は通っているのですが、とくに夜、高台から見下ろす風景は、湖を街の明かりが取り囲んでいてとてもきれい。東京からは少し離れていますが、時間があればぜひ足を運んでみてください。」

ITO Itsuki
2005年生まれ、大阪府出身。アイスホッケーを始めたのは6歳の時。小学3年生の時に交通事故に遭い、脊髄を損傷し両足に障がいを負う。小学4年生でパラアイスホッケーを始め、中学1年生で日本代表に選出。2023年のパラアイスホッケー世界選手権B-Pool優勝、大会MVPを受賞。日本パラアイスホッケーを牽引する若きエースとして注目を集めている。ロスパーダ関西、ビーズインターナショナル所属。