10/17/2025

地元東京で開催されるデフリンピックの陸上中距離で表彰台を目指す
-岡田海緒さん

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SPECIAL INTERVIEW

自分らしい走りで表彰台の頂点を目指す

800m、1500m、1マイルの日本デフ記録保持者で、ブラジル2021デフリンピック競技大会の1500mで銅メダル、第5回世界デフ陸上競技選手権大会(台湾)の800mで銅メダルを獲得した岡田海緒さん。自身にとって、3回目のデフリンピックとなる東京2025デフリンピックが間近に迫った今、どんな思いでいるのでしょうか。大会に向けての意気込みや競技に寄せる思いを伺いました。

戦略が問われる中距離競技

陸上競技を始めたきっかけについて教えてください。
「両親ともに聴覚障がいがあり、父は短距離と走り幅跳び、母はやり投げをしていたこともあり、陸上競技には昔から興味がありました。私自身、子どもの頃から運動が得意で、特に走ることが大好きでした。ただ、通っていた中学校には陸上部がなかったため、バレーボール部に所属。陸上競技は高校から始めました。」

専門とされている中距離競技は、どんなところに魅力を感じて選ばれたのでしょうか。
「短距離はあっという間に走り終わってしまうし、かといって長距離は長過ぎる…。自分には、中距離がちょうどいいかなという、単純な理由で最初は選びました。ところが、走ってみると、この中距離というのが想像以上に苦しい。短距離のような瞬発力と、長距離のような持久力の両方を高いレベルで求められるため、全身の筋肉をフルに使い、心臓や肺にも強い負荷がかかるんです。そうした負荷を考慮に入れながら、戦略的にレースを展開していくところが中距離の醍醐味でもあります。実際、同じ距離でも、選手によって攻め方が全然違うんですね。例えば、最初から飛ばして、終始、自分のペースでレースを作っていく選手もいれば、スローペースで入って最後のスプリントで勝負に出る選手もいる。それだけに勝負は最後まで分かりません。私は追い上げるレースが得意なのですが、それぞれの選手が自分の特長を生かしながらレースに挑むのも中距離の面白さです。」

完璧よりも前進することが大事

これまでのアスリート人生でスランプもあったと思うのですが、どのようにして乗り越えてきたのでしょうか。
「最初の大きな壁は、陸上競技を始めて間もない高校1年生の時。すねを痛めてしまい、立っていることすらままならなくなってしまいました。陸上部の仲間は、目標にしていた大会で次々に結果を残しているのに、自分は練習すらできない。その状況がとにかくつらくて。自分は中距離に向いていないのではないか。やり投げなど、他の種目に転向した方がいいのではないかと考え、両親に相談しました。すると、『ケガから逃げずに、きちんと自分と向き合ってみては?その結果がきっと将来に結び付くと思うよ』とアドバイスをしてくれた上に、『高校だけでもまだ2年は残っているのだから、頑張ってみよう!』と励ましてくれて。そのおかげで競技を続ける勇気が持て、高校2年のときには日本デフ記録の更新をすることができました。」

日本女子体育大学時代には、聴覚障がい者の大会だけではなく、関東大学女子駅伝や関東学生陸上競技対校選手権大会(通称:関東インカレ)にも出場されました。
「健常者と一緒に勝負に挑む関東インカレは大学入学時の最大の目標でした。必死で練習を積み重ねて、ようやく最後のチャンスとなる4年生で出場を果たすことができました。実は、ろう学校出身で女子トラック種目に出場したのは、私が初めて。そのため、ピストルの音が鳴ると同時にランプが白く光るスタートランプが設置され、無事に他の選手と一緒にスタートを切ることができたのです。」

岡田さんの努力がデフアスリートにとっての大きな一歩にもなったのですね。どんな状況にあっても、努力し挑戦し続けるその原動力は何ですか。
「自分を進化させたいという思いですね。正直、どうして、こんなにつらいことをやっているんだろう?と思うことは常にあります。でも、自分はやるしかない。このつらさや苦しさを乗り越えると、きっと新しい自分に出会えると信じています。そもそも競技を続ける中では、うまくいかないことがほとんどです。関東インカレに出場できたのも、4年間で1回だけ。そのたった一回の挑戦も結果は予選落ち。完璧にはいきません。私は、完璧を求めるよりも一歩踏み出すこと、少しでも前に進むことが大事だと思っています。だから、日々の練習を積み重ねる。そのことが大切で、自分らしい人生だと思っています。」

前回の悔しさを胸に挑む東京2025デフリンピック

岡田さんは2017年、2021年と2大会連続でデフリンピックに出場されました。デフリンピックはやはり他の大会と違いますか?
「会場に入るためのセキュリティもとても厳しくて、普通の大会ではありませんね(笑)。私が初めて出場したデフリンピックは、トルコのサムスンが会場だったのですが、エネルギッシュで開放的な雰囲気を肌で感じました。地元の方も日本からも大勢の方が応援に来てくれて、観客席はぎっしり。デフリンピックって、こんなに盛り上がるんだと驚きました。」

前回、ブラジルのカシアス・ド・スルで開催されたデフリンピックはコロナ禍ということもあり、制限もかなりあったと思います。
「そうですね。私は、3種目に出場する予定だったのですが、いざ、本命の800mという時に、日本選手団が出場を辞退することになりました。その時は、虚無感というか、やるせない気持ちというか、いろんな感情が入り交じって。どこにどう気持ちをぶつけていいか分からなくなるほどでした。しばらくは、練習にも気持ちが入らなかったのですが、それからしばらくして東京でのデフリンピック開催が決まり、ようやく前を向くことができました。」

その東京2025デフリンピックがいよいよ目前に迫ってきました。
「前回が不完全燃焼だっただけに、今回はめちゃめちゃ燃えています。しかも、自分が生まれ育った東京が舞台になるとあり、今から楽しみで仕方ありません。」

周りの皆さんも岡田さんの活躍を大いに楽しみにされているのではないでしょうか。
「はい。『応援に行くよ!』とたくさんの方に声を掛けていただけて、本当にありがたいです。家族や友人、これまでお世話になった皆さんに、デフリンピックの会場で実際に応援してもらえる貴重な機会に、自分らしい粘り強い走りでその期待に応えたいと思っています。目標は金メダル。これまでに出場した国際大会で私が手にしたメダルは銀と銅。今度こそ、東京という素晴らしい舞台で、最高の輝きを放つメダルを手にしたいです。」

サインエールで一緒に応援を

デフリンピックには多くの方が観戦にいらっしゃいます。おすすめの応援方法はありますか?
「今回の東京2025デフリンピックでは、新しい試みとして、手話言語をベースにしたサインエールという“見える”応援スタイルが考案されました。きこえる・きこえないにかかわらず、全ての人がデフアスリートに思いを届けることができるようにと、ろう者を中心にしたメンバーとデフアスリートたちとで開発されたものです。誰でも一緒に応援に参加できるので、アスリートたちに力強いエールを届けてください。」

大会には世界各国から観客がいらっしゃいます。岡田さんがおすすめする東京のスポットがあればぜひ教えてください。
「2年前に仲の良いウクライナの選手が来日したときに観光案内をしたのですが、彼女が一番喜んだのが浅草。東京の今と昔の両方を楽しめると言っていました。あとは、日本のシンボルでもある富士山。東京からは離れるのですが、御殿場まで足を運んで眺めた富士山の姿に二人で感動しました。気分転換にジョギングを…となったら、浅草周辺の隅田川沿いは川や橋を見ながら走れるのでおすすめです。あとは夕方から夜にかけての豊洲エリアは東京湾と都会の夜景がロマンチックで走っていても気持ちがいいですよ。東京にはさまざまな見どころがあるので、ぜひ観戦も観光も両方楽しんでください。」

OKADA Mio
1997年生まれ、東京都出身。生まれつき耳がきこえず、高校までろう学校に通う。高校入学を機に本格的に陸上競技を始め、全国ろう学校対抗陸上大会にて800mと1500mで3連覇を達成。高校卒業後は日本女子体育大学に進学。サムスン2017デフリンピック競技大会の800mで6位、1500mで7位に入賞。ブラジル2021デフリンピック競技大会の1500mで銅メダル、第5回世界デフ陸上競技選手権大会(台湾)の800mで銅メダルを獲得。800m、1500m、1マイルの日本デフ記録保持者。三菱UFJリサーチ&コンサルティング所属。