01/23/2024

マラソンはランナーの生きざまを映す“大人の競技”
-千葉真子さん

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長距離選手として国際舞台で活躍

日本女子長距離界のトップ選手としてオリンピックにも出場し、世界陸上競技選手権大会では10000mとマラソンの2種目でメダルを手にした千葉真子さん。現在はゲストランナーとして全国のマラソン大会に出場するほか、市民ランナーの指導や普及活動も積極的に行っている千葉さんに、マラソンの魅力や東京観光の楽しみ方を語っていただきました。

高校時代の悔しさをバネに実業団へ

千葉さんが陸上を始めたのは高校に入ってからとのこと。何がきっかとなったのでしょうか。

「中学の時は3年間、テニス部に所属していました。テニスは大会の初戦で負けてしまうような選手だったのですが、持久走は得意。長距離が得意な生徒がいるという噂を聞きつけた陸上部の先生から声をかけられ、中学3年時の冬に、助っ人として駅伝に出場しました。初めて走った駅伝で、まさかの区間賞。走ることが楽しいし、自分に向いていると思い、高校は陸上の名門と呼ばれている学校に進学しました。」

 高校女子駅伝の強豪として知られる立命館宇治高等学校では全国高等学校駅伝競走大会に2回出走し、キャプテンも務められたそう。

「キャプテンというと聞こえはいいのですが、実力派ぞろいの部員の中で、目立つことはほとんどありませんでした。1年時は補欠にも選ばれず、大会のときは沿道で応援しただけ。2年時で初めて出走した全国高校女子駅伝では17人抜きで区間4位になりました。そこから一気に!と言いたいところですが、3年時の大会では、1区で出走したもののケガの影響もあって失速。私のせいで優勝のチャンスを逃してしまったんです。それが悔しくて、悔しくて。このままでは終わりたくないという気持ちが芽生え、高校卒業後は実業団に入ってしっかりと実力を身に付けたいと考えました。」

苦労の末につかんだ銅メダル

 旭化成に入社後は、第26回オリンピック競技大会(1996年/アトランタ)10000mで5位入賞、翌年の第6回世界陸上競技選手権大会(1997年/アテネ)10000mで日本女子トラック長距離種目初となる銅メダルを獲得するなど、目覚ましい活躍をされます。

「入社後に初めて10000mを走ってみると、面白いくらいに記録が伸びるようになったんです。それこそ、今まで勝てなかったライバルたちをどんどん追い抜いていくような勢いでした。自分の適性に合っていたんでしょうね。初めての国際大会でもあったオリンピックで5位入賞という成績を残せるとは自分でも思ってもいなかったのでうれしかったです。」

国際大会で見事な成績を残しながらマラソンへ転向。どのような理由からでしょう?
「10000mはある意味、スピードで勝負する種目。オリンピックや世界陸上での成績は、最初から最後まで積極果敢に飛ばしていく自分の持ち味に監督からのアドバイスなどがうまくかみ合ったことで得られた結果でした。ただ、今後さらにスピードが求められることを考えると限界も近い。そこで、次なるステップとしてマラソンへの転向を決意しました。
ところが、これが想像以上に大変で。トラック競技の感覚で走り込んだら体がついていかず、練習を重ねなくてはと頑張ると、今度は疲労骨折をするなどケガが続いてしまう。納得のいく走りがなかなかできず、世界の舞台に戻るのに6年ほどかかりました。」

 第9回世界陸上競技選手権大会(2003年/パリ)で銅メダルを獲得するまでに、ご苦労されていたのですね。

「ターニングポイントになったのは、日本代表選考の対象大会でもあった2003年の大阪国際女子マラソン。ここで結果が出せなかったら、マラソンは諦めると監督に話して出場した大会でした。もう後はない。そんな覚悟を持って臨み、2位でゴール。念願の日本代表にも選ばれ、世界陸上のマラソンでメダルを手にすることができました。
前回、10000mでメダルを取ってから6年間、ずっと暗いトンネルをさまよっている心境だっただけに、最後の最後に世界の舞台で再びメダルを取れたときは感慨深かったです。」

苦しく 楽しいスポーツ

千葉さんが感じたマラソンの難しさや醍醐味(だいごみ)とはどんなことなのでしょうか。

「10000mやハーフマラソンと違って、フルマラソンは練習通りに走るのがとにかく難しい。フルマラソンには、2つの我慢が必要とよくいわれています。1つは、キツくなってからの我慢。体が疲れてきてペースが落ちてしまいがちなところを踏みとどまる“我慢”です。もう1つは、前半の調子がいいときにペースを上げたくなる気持ちを抑える“我慢”。体がラクなときも、しんどくなったときも、気持ちと体をコントロールしていかないと、42.195kmを完走することはできません。
だからこそ、選手たちはスタートラインに立つまでに練習を重ね、体と心を鍛えて、本番に臨みます。それでも、レース本番は、天候、コースの状況などさまざまな変化やハプニングが起こるもの。それらを自分自身で冷静に対処しながら、自分を励まし、ゴールへと向かう。そこがマラソンの難しさでもあり醍醐味でもあるように思います。私にとって、マラソンはその人の経験値とともに人生が映し出される“大人の競技”というイメージです。」

努力を重ね、苦しさを乗り越えながら記録更新を目指すからこそ、走る側も観戦する側も魅了されるのでしょう。

「マラソンの魅力を一言で言うと、『苦しく 楽しい』。日々の練習もつらいし、レース中だって、途中で足を止めたいと思うくらいに苦しい。でも、その苦しさを乗り越えて無事に完走できたときの楽しさは格別です。ゴールした瞬間にガッツポーズで『ヤッター!』と心の底から叫びたくなるほどの喜びや達成感は、苦しさを乗り越えてつかんだ結果だからこそです。」

東京で楽しめる観光ランスポット

現在、千葉さんは全国で開催されるさまざまなマラソン大会でゲストランナーや解説者としてマラソンの魅力を伝えていらっしゃいます。

「ゲストランナーとして参加するときは、一生懸命にゴールを目指すランナーの皆さんを応援しながら私自身、走ることを楽しませてもらっています。テレビで解説するときには、視聴者の皆さんがよりマラソンに興味を持ってもらえるようにランナーの走りの特徴や背景的なことを交えてお話ししています。東京マラソンなど、海外の方からも人気の高い大会は沿道で応援される方も多く、コース全体が盛り上がっていますよね。実際に、沿道でトップグループの走りをご覧になると、一瞬で目の前を走り去るその速さにびっくりされるはず。『え⁉もう行っちゃったの?』というくらいのスピードです。機会があれば、ぜひ、トップ選手の走りを間近でご覧になっていただきたいです。」

 東京ではマラソンをはじめ、さまざまなスポーツイベントが開催され、多くの方が都内に足を運びます。ぜひ、千葉さんがおすすめする東京観光の楽しみ方を教えてください。

「ランニングをしながら都心を巡る、観光ランをおすすめしたいです。場所として真っ先に思いつくのは、“皇居ラン”。皇居を囲むおよそ5kmのコースは、ランニングの聖地としておなじみで、魅力はなんといってもノンストップで走れること。コースの周辺には桜田門や二重橋、国会議事堂など有名なスポットがあり、観光気分も十分に味わえます。

私がランニングイベントで時折、利用しているのは、豊洲市場やレインボーブリッジなど、都心のベイエリアの景色を眺めながら走る、豊洲ぐるり公園のランニングコース。4.8kmあり、フラットで走りやすいので初心者にもおすすめです。他には、観光スポットとして海外の方にも人気の東京タワーで、⾼さ150mまで続く約600段の外階段を上る『オープンエア外階段ウォーク』に挑戦してみてはいかがでしょう。階段を上るごとに変化する都心の景色を眺めながら運動不足の解消にもなります。体を動かしながらの東京観光をぜひ、楽しんでみてください。」

千葉真子
CHIBA Masako
1976年、京都府出身。立命館宇治高等学校から旭化成に入社。第26回オリンピック競技大会(1996年/アトランタ)10000mで5位入賞、第6回世界陸上競技選手権大会(1997年/アテネ)10000mで日本女子トラック長距離種目初となる銅メダルを獲得するなど、日本女子長距離界のトップ選手として国際舞台で活躍。第9回世界陸上競技選手権大会(2003年/パリ)ではマラソンに出場し、銅メダルを獲得。現在はゲストランナーとして全国のマラソン大会に出演するほか、市民ランナーの指導や普及活動も積極的に行っている。